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3,11
みなさんこんばんわ

忘れてはいけない
でも思い出したくない

3.11
ですねー。

午後2時46分に1分間の黙祷をしました。


今年は震災の影響で亡くなった伯母さんの
3回忌です

今も行方不明の方や
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
03/11 19:19 | 未分類 | CM:5
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いつも長文でくらーいこと書いてごめんなさい。

少しは前向きにならないとね。

今日の午後は北国特有の「1型糖尿病」の子供たちの診察だから、少しは明るくなるから。子供の診察とか治療してると、心が楽しくなります
あつしさんありがとう♪
絆を結びましょうね♪
Yujinさんありがとう♪
まぐろさんありがとう♪
私もこの震災後の3週間は思い出したくない日々でした。原発の死の灰はもろに北へ流れていって、宮城県南部も襲いました。福島県庁や福島県立医大は「原発事故はなかったことにしたい。風評被害が怖いから」という逃げの姿勢ばかりです。

私も東北電力の原発へ管さんの命令で救援に行き、地元の生き残った人々にヨウ化カリウムの薬を飲ませ、赤十字のトラックが来るまでの3週間、人々を励ましたけど、私の方がリンパ節が白血病となり、東京でさらに3週間、強烈な抗ガン剤治療を受けて、広島へ帰る時にはつるっぱげになりました。技術官僚というのは因果な商売です。官僚でありながら、最前線できつい仕事ばかりやらされる。霞ヶ関の文系官僚の連中を殴りたい。

色々言われるけど、事故直後に自衛隊のヘリで視察に行った管さんの勇気はもっと皆さん認めるべきだと思います。彼も物理学者の一人として、原発の内部の圧力が上がると爆発すると言い続けたのに、東電は無視して結果として大爆発を興しました。つまりチェルノブイリの4倍のメルトダウンが起こったのです。管さんの悪い予感は的中したという訳ですけれど、あいにく物理学に詳しい人でさえもこれをマスコミに言うと風評被害が起こると思って、誰も言えなかったのでしょうね。私も広島の中国新聞には白血病治療のためと言って取材拒否しました。でも、救援に行った医者の私が白血病になったという事実だけで全てが分かるでしょうに(幸いに抗ガン剤だけで癒るタイプだったので、いまこうして書き込んでいます。医学生の次男の教科書にも小児ガンの場合8割が回復、中年の場合でも5~6割が回復と書いてあります)。

私が救援へ行った町も、避難所の町立病院の一階まで津波が押し寄せ、かなりの人々が流されて行ったと、青年会議所の若いお父さんたちから聴きました。ヨウ素剤を飲ませたのが遅かったので、彼らの子供たちが甲状腺ガンになってないことを祈るばかりです(本当は事故の直前または48時間以内に飲ませないと意味が無い)。私は無力な医者です。

私は皆さんも知っての通り、滋賀県が本籍です。つまり戊辰戦争では会津藩と一緒に薩長と戦い、ともに「朝敵」とされて明治以降は差別されました。たまたま会津若松の街中に江戸時代からうちの遠い親戚が住んでいて、参勤交代のついでに里帰りして会津若松の屋敷の持ち主を交代したという歴史があります。

問題は会津のためならと、たまたま空いていた駐車場を全部国へ寄附して仮設住宅にしたあとです。仮設住宅というのは本当に「仮設」で、灯油のストーブが発する水蒸気で、雪国の会津若松では窓や天井が結露して腐ってしまうのです。あれから3度目の冬、もう仮設住宅は限界に来ています。今度台風が来たら倒壊する所もあるかも知れません。つまり阪神大震災と異なり、東北の大震災は「仮設住宅の建て替えが必要」だということです。私自身が駆け出しの医者の頃に阪神を食らって幼い息子たちと大阪の町を逃げ惑った経験から言えます。まだ赤ん坊だった次男は覚えてませんけど、長男はしっかりと覚えてます。

私もなけなしのお金を親戚に送ってるのですけど、先日のメールでは国も東電も何もしてくれない、自民党になってさらに対応が悪くなった。二度と自民党には入れない。うちは地主として、自腹を切ってでも仮設住宅を建て替えようと思う、と書いてありました。同じ会津人ですから助け合うというのは当たり前だとも。本籍は滋賀県でも、会津に住むからには、という志には心が熱くなりました。

ちなみに余計な話ですけど、「きずな」という漢字の語源を知ってますか? 絆の「羊」は家畜のことです。つまり、家畜をつなぎ止める綱が「絆」という漢字の語源なんですよ。この言葉をキャンペーンに使った人は恐らく語源まで調べてなかったのだと思うけど、会津人そして東北人にとって、これほど侮蔑的なことばはないと思います。
ついこの前のように感じられますが、もう3年も経ったのですね。

被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

そして以前と変わらない生活に戻れるようお祈りします。
Erikaさんだけじゃありません。
東京に住む私だって、絶対に忘れられない、忘れてはならない日です。

Erikaさんの身内でも、震災の犠牲になられた方がいらっしゃったんですね。
知らなかったです。
3年という歳月が長かったか短かったかは、人それぞれでしょう。
でもその間、被災地の方々の住環境が良くなったかというと、
私も含め、全くそう思えないという人が大半でしょう。

政治家や企業はつまらないかけ引きばかりして、被災地の存在なんて
これっぽっちも考えてませんものね。

又、一世を風靡した「絆」という言葉も、被災地の方々の中には
忌み嫌ってる人達も少なくありません。
満足な支援もしてくれずに何が「絆」だ、フザけるなって事なんですよね。
私も満足な支援をしてあげてる訳ではありませんから、
やたらに絆、絆なんて言いたくありません。
でも、Erikaさんとの絆は、これからも固く結んでいたい、そう思ってます。
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